部活動は、義務では無い。だから、無理してやる必要はないと普段から思っている。
ただ、どうせやるからには「やってよかった。楽しかった!」と思えるような達成感とともに、自分を高められる「人間性の成長」を感じられる経験にしたいと常日頃から思っている。
しかし、日々の活動を活動する上で、目先の大変さや辛いという思い、または部内恋愛等で目先の楽しさに心を奪われてしまい、半ばにしてその現実から目をそらすように楽な方向に、恋路に走ってしまう生徒が多いのも現状である。活動していく上では、どうしてもある程度の壁は超えなければならないものであるし、そのハードルを超えるための思考錯誤から学べることも多いはずである。しかし、友達同士での傷の舐め合いのような感情の共有であったり、部内恋愛による視野の狭さはどうしたら良いものか本当に困っている。
何歳でも、いつの時代でも、恋愛を妨げる事は不可能だと思っている。よく部訓や部の規則として「部内恋愛禁止を掲げている学校」を聞くが、正直すごいなぁと感心する。
なぜなら、それは人間の感情だからである。好きになるという感情は止めることができないし、止めるルールがあったとて、その感情を「はい、そうですか」と我慢できるだろうか。昔から親が反対すれば駆け落ちをするし、オペラの題材によくあるように、禁断の恋であれば心中をする。いつの時代も恋愛は世の常であるが、それとともに恋にハマると何も見えなくなり、「恋は盲目」とはよく言ったものだと感じている。
このまま、どんどん依存してしまって、2人以外が見えなくなってしまわなければいいのだが。
学校という教育現場において、その場で出会った仲間同士からもちろん恋愛に発展することも多々あるだろうが、その場でやるべきことの本質を見失っては得られるものも少ないだろう。指導者としての自分としての立場や、自分なりの役割としてもう少し何かすることができなかったかと言うやるせなさに悩まれる。
高校生と言う多感な時期だからこそ、恋愛は大切な経験だと思うし、自分を高めてくれる材料になり得るし、相手の立場を保ばかり思いやりへつながるのであろう。しかし、2人の立場を優先するが、あまり当初の目的から逸脱し、やるべきことすらやらなくなっててしまったとしたら、それは本末転倒であろう。
どれだけやるせなさを感じても、どれだけふがいなさを感じても、どれだけ都合の良いことを言われ、おやからせ責められても、私には目の前に生徒がいる。一生懸命頑張ろうとする生徒がいる。その生徒たちを裏切ることなく、自分の使命を全うする。その生徒としっかりと向き合うどれだけ人がいなくなっても、一生懸命頑張ろうとする生徒が目の前に1人でもいる限り、私はやらなければならない。それが教師の宿命だ。