ラジオ体操誕生と普及の経緯
きっかけは、保険会社の海外視察
大正時代に、海外の保険事業の視察をした逓信省簡易保険局の猪熊貞治氏が、アメリカの生命保険会社で行われていた体操を、帰国後に発表した「放送無線による保険事業宣伝」の中で「国民の健康保持に基く社会的幸福増進事業」として紹介しました。
昭和4年2月から全国放送が始まり、国民の間でもどんどん広まっていきました。
昭和天皇ご即位を記念して国民の体操へ
1928年(昭和3年)11月1日、昭和天応ご即位の大礼を記念して、逓信省(のちの郵政省)簡易保険局により、「国民保険体操」としてスタートします。
当時の平均寿命は、男44.82歳、女46.54歳という短さだったので、「国民全体の健康」を願って作られたものでした。作成の経緯は、文部省が任命して、7人の体操委員によって作成されることとなりました。作曲は、武蔵野音楽大学創設者の福井直秋氏です。
戦後の中断により、現在の形へ
その後、戦争で一時中断することとなります。
戦後、新ラジオ体操第一制定委員会を中心に作成され、楽曲も新たに作り直しとなります。
そして、1951年(昭和26年)国立音楽大学教授だった服部正氏の作曲により現在の形になりました。
国立音楽大学教授だった服部正氏は、通算500回以上も上演されているオペラ「手古奈」の作曲者であり、
また、CM界の巨匠、小林亜星氏の師匠でもあるそうです。
新ラジオ体操のコンセプトは
- 「簡単・容易で誰にでもできるもの」
- 「どこでもすぐやれるもの」
- 「調子が良くて気持ちのいいもの」
という3つがポイントでした。
これこそが、永く国民に愛される由縁なのかもしれません。
ラジオ体操の「今」
こうしてずっと国民に親しまれてきたラジオ体操ですが、現在は株式会社かんぽ生命保険とNHKおよびNPO法人全国ラジオ体操連盟によって受け継がれています。
そして、1999年、ラジオ体操は「みんなの体操」としてバージョンアップし、座ったままの体操なども紹介しています。
みんなの体操とは
一般公募などから制定した一般向けの体操で、年齢、性別、障害の有無にかかわらず出来る体操を意識して作られています。
名前は一般公募によって決定しました。
「みんなの体操」のポイントは
高齢者に負担が少ないように、ラジオ体操に比べて運動量を低く抑えているところがポイントです。
高齢化社会の今、
- だれでも
- 手軽に
- 簡単に
- 健康を維持できる
というポイントは、家庭だけでなく、老人ホームなどでも多く取り入れられているところを見ると、
目的に合っているのだと思います。
みんなの体操の作曲者は
作曲は、佐橋俊彦さんです。
佐橋さんというと、吹奏楽ファンならピンとくる方もたくさんいるのではないでしょうか。
ディズニーメドレーⅡ
ディープ・パープル・メドレー
などをはじめとする、New Sounds in Brass シリーズの代表的な編曲家でもあります。
そのほかにも、紅白歌合戦やBSのど自慢のテーマソング、時代劇や特撮ヒーローもの等
幅広いジャンルを手がける作曲家です。
放送時間について
みんなの体操、およびラジオ体操(テレビ体操)の放送スケジュールは以下の通りとなっています。朝の日課や仕事の休憩中等、自分のライフスタイルに合わせて行えます。是非実践して、コロナ太りを解決しましょう!
・ラジオ第1 毎日6:30〜6:40
※国際放送NHKワールド・ラジオ日本でも同時放送されている。
・ラジオ第2 月曜日〜土曜日 8時40分〜50分、12時〜12時10分、15時〜15時10分
・テレビ体操、みんなの体操
Eテレ 6時25分~35分(10分版) 総合テレビ 9時55分~10時00分、14時55分~15時(5分版)